【 やるかやらないかの境界で人を知る 】 | 神戸加納町「BAR志賀」と昼の顔(中毒性日記Blog版)

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店の近くを歩いていると「志賀さん、こんばんは」とこれも近くでBARを営むルンくんから声を掛けられた。前を見て歩かないなんて、性に合わない。上を向いて歩こうとはよく言ったものだ。若い子に気づかされる。

 

最近は滅多にマチに出ないというお客さんが、家業を継いだ息子さんを連れてきた。25歳。「こんな若くても、来ていいのかな?」そう言う父親に、そんな襷こそが店が続くチカラだと僕は返す。まさに続ける理由となるのだ。

 

……………

 

知人がSNSから発信することを急に止めたので心配になって連絡してみたら、どうやら誰かに監視されてるようで、ちょっとした中傷めいたコメントや反応に面倒になったとのこと。仕事やプライベートの充実をアップすると、それを羨む人の表現は様々である。賛辞を送る、否定をする、ジェラシーを隠して近づこうとする人までもいる。輝いてる姿に嫉妬してそんな輩が現れてくるのは、アナログな昔から今も変わらない。

 

SNSで厄介なのは、パーティーやイベントに写ってアピールする(大抵最前列や中心にいる)人である。「この人どこにでも顔を出すね」というレッテルを貼られていることには気づいていない。やたら色んなトピックにコメントを入れまくる人も同様で、友達の意義がそこでは違って見える。

 

有名人と並んだ写真をしょっちゅう上げる人にも困ったものだが、それにコメントを入れる他人の「あの人いい人だよね。よろしく伝えといて」などの自分の方が先に会ってるアピールを被せる姿も、実は相当に格好悪い。大半が、そこまで深く知らない関係性の場合が多かったりもする。

 

信用があるとか、仲がいいと互いに共有していると思い込む。
しかしそれは、各々独自の距離感を保っておいた方がいいのに。

 

これらは全て「距離感が安定しない人」たちの仕業だ。

 

サイトで悪く書かれてるよって伝えてきた人が犯人だって話も怖い。嫌なら見なければいいのにって思っても、そんな人ほど隅々まで見ているもので、好きと嫌いは背中合わせだから、仲良さそうに振舞っていても心の中は実は…なんて話もある。

いずれにしても、中傷や干渉がエスカレートして、ストーキングや犯罪にまでも透けて見える世界に足を突っ込んでるという自覚などない。大袈裟でなく、それは予備軍である。

 

そう言えば、『転売ヤー』という言葉を知ったがそれと似ているのかも知れない。詳しくは割愛するが、要するにネットなどで人気商品を買ってすぐに少し安く転売、商品の価格が重要なのではなく、その差額よりも多いポイントを稼ぐことを繰り返すのがメインのやり方である。(先見の明で商品を仕入れて、プレミアが付いて転売するという手法とは別物)

転売ヤーが学生などに流行っているらしいが、デイトレーダーなどと同じにしてはいけない。そもそも「リスクを背負わない」のは社会の構図とは全く違う。対価とは、他に与えたものに対する報酬であろう。だから転売には愛がない。

 

この話を前述の話と一緒にすると、その親たちには怒られそうだが、『転売ヤー』は「ホテルを予約サイトでおさえたが、無断キャンセルして過去140万円分ポイントを受け取った」あの逮捕された親子の行為に繋がるくらいに恐ろしいことだと僕は思う。飲食店をドタキャンする輩も同じで、犯罪予備軍の可能性は否めない。できればアルバイトやクラブ活動をやって社会の仕組みを知って欲しいが、それは時代が違うと一笑に付されるかも。

 

オイシイことや楽なことには大抵落とし穴があるというのは定説だが、それらを「やった側」と「やらない側」に分かれた時点で付き合う人間の「質」も変わっていく。スポーツで言うズルいことと潔いこととの違い。この分岐点で信頼も失ってゆくのだ。

 

ただ思う。若い時にフラッと、「みんなで幸せになろう!」と何だか怪しい商品を売る仕事(仕事か?)を始めたり、親戚や仲間を巻き込んでみたりした時に、それが若気の至りで済まされた過去なら仕方がない。無論、その商品を愛して自信を持って薦める人からなら買ってもいいし、出会いと共に何かを新しくつくり上げることで過去を顧みて苦笑することがあるのもいい。

 

物を売る前に、人を売っていないか。

どこで気づくのか。誰に気づかされるのか。
 

「やるかやらないか」は、気づくのが早ければ取り返せる。

 

ただ僕は、自分の足跡しか興味がないので元々やらない。