神戸加納町「BAR志賀」と昼の顔(中毒性日記Blog版)

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※2010年7月、店は移転しました!
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20周年記念本 「神戸にこころざす~地図にない店 20年の足跡」発売中!

昼夜働く志賀の個人HP内「中毒性日記」ブログ版。
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店の近くを歩いていると「志賀さん、こんばんは」とこれも近くでBARを営むルンくんから声を掛けられた。前を見て歩かないなんて、性に合わない。上を向いて歩こうとはよく言ったものだ。若い子に気づかされる。

 

最近は滅多にマチに出ないというお客さんが、家業を継いだ息子さんを連れてきた。25歳。「こんな若くても、来ていいのかな?」そう言う父親に、そんな襷こそが店が続くチカラだと僕は返す。まさに続ける理由となるのだ。

 

……………

 

知人がSNSから発信することを急に止めたので心配になって連絡してみたら、どうやら誰かに監視されてるようで、ちょっとした中傷めいたコメントや反応に面倒になったとのこと。仕事やプライベートの充実をアップすると、それを羨む人の表現は様々である。賛辞を送る、否定をする、ジェラシーを隠して近づこうとする人までもいる。輝いてる姿に嫉妬してそんな輩が現れてくるのは、アナログな昔から今も変わらない。

 

SNSで厄介なのは、パーティーやイベントに写ってアピールする(大抵最前列や中心にいる)人である。「この人どこにでも顔を出すね」というレッテルを貼られていることには気づいていない。やたら色んなトピックにコメントを入れまくる人も同様で、友達の意義がそこでは違って見える。

 

有名人と並んだ写真をしょっちゅう上げる人にも困ったものだが、それにコメントを入れる他人の「あの人いい人だよね。よろしく伝えといて」などの自分の方が先に会ってるアピールを被せる姿も、実は相当に格好悪い。大半が、そこまで深く知らない関係性の場合が多かったりもする。

 

信用があるとか、仲がいいと互いに共有していると思い込む。
しかしそれは、各々独自の距離感を保っておいた方がいいのに。

 

これらは全て「距離感が安定しない人」たちの仕業だ。

 

サイトで悪く書かれてるよって伝えてきた人が犯人だって話も怖い。嫌なら見なければいいのにって思っても、そんな人ほど隅々まで見ているもので、好きと嫌いは背中合わせだから、仲良さそうに振舞っていても心の中は実は…なんて話もある。

いずれにしても、中傷や干渉がエスカレートして、ストーキングや犯罪にまでも透けて見える世界に足を突っ込んでるという自覚などない。大袈裟でなく、それは予備軍である。

 

そう言えば、『転売ヤー』という言葉を知ったがそれと似ているのかも知れない。詳しくは割愛するが、要するにネットなどで人気商品を買ってすぐに少し安く転売、商品の価格が重要なのではなく、その差額よりも多いポイントを稼ぐことを繰り返すのがメインのやり方である。(先見の明で商品を仕入れて、プレミアが付いて転売するという手法とは別物)

転売ヤーが学生などに流行っているらしいが、デイトレーダーなどと同じにしてはいけない。そもそも「リスクを背負わない」のは社会の構図とは全く違う。対価とは、他に与えたものに対する報酬であろう。だから転売には愛がない。

 

この話を前述の話と一緒にすると、その親たちには怒られそうだが、『転売ヤー』は「ホテルを予約サイトでおさえたが、無断キャンセルして過去140万円分ポイントを受け取った」あの逮捕された親子の行為に繋がるくらいに恐ろしいことだと僕は思う。飲食店をドタキャンする輩も同じで、犯罪予備軍の可能性は否めない。できればアルバイトやクラブ活動をやって社会の仕組みを知って欲しいが、それは時代が違うと一笑に付されるかも。

 

オイシイことや楽なことには大抵落とし穴があるというのは定説だが、それらを「やった側」と「やらない側」に分かれた時点で付き合う人間の「質」も変わっていく。スポーツで言うズルいことと潔いこととの違い。この分岐点で信頼も失ってゆくのだ。

 

ただ思う。若い時にフラッと、「みんなで幸せになろう!」と何だか怪しい商品を売る仕事(仕事か?)を始めたり、親戚や仲間を巻き込んでみたりした時に、それが若気の至りで済まされた過去なら仕方がない。無論、その商品を愛して自信を持って薦める人からなら買ってもいいし、出会いと共に何かを新しくつくり上げることで過去を顧みて苦笑することがあるのもいい。

 

物を売る前に、人を売っていないか。

どこで気づくのか。誰に気づかされるのか。
 

「やるかやらないか」は、気づくのが早ければ取り返せる。

 

ただ僕は、自分の足跡しか興味がないので元々やらない。

先週末、神戸製鋼が今季強いと評されるヤマハから二勝目を挙げた。僕が神戸に移り住んだきっかけはほぼ平尾さんで、神戸製鋼の躍進と重ねて、今の僕があると言っていい。このチームには、選手やファンの「神戸」という呼称がある。これが大きい。

 

さて、

 

2020年1月17日。

 

節目ではあるが区切りだとは思えない25年。忘れてはいけない、風化させてはいけないとSNSや報道では、普段見ないほどの活字の量とニュースに溢れかえっていた。

 

同じように僕が書くかと言えば、罹災証明も取ってそれなりの被災体験はあったが、家や会社が潰れたとか、家族や友人を失ったとか、そこまでのことはない。だから、 見聞きしたことをさも自分の体験のように吹聴するのもどうかと思うし、でも少し思うところもあるので、当日じゃなく日をずらせて書いてみる。

 

……………
 

元々神戸に縁もゆかりもない僕だから、当時一人でいた部屋が幸いした。むしろ、山の上のマンション13階にいると余震がひどく建物がきしむのでじっとするのが怖く、止まったエレベーター横の非常階段で降りて、まだ暗い外、すぐさま車に飛び乗った。ラジオの情報が欲しいのと、年末に別れた芦屋に住む彼女の安否が気になったからだ(ラジオは大した報道もなく、車も須磨のインターから入れずUターンを促された)。まだ暗い道にヘッドライトに照らされた、リードのついたままの高級犬種が何頭も横切った。明るくなり始めた国道に向かうと、途中のアスファルトが盛り上がり剥き出しのガス管から臭いがし断念した。

 

神戸の震災は確かに、様々な人生を変えた。京都に帰って来いと家族や仲間から言われたりもしたが、3月くらいまで大学の先輩の会社を手伝ったり(押し潰れたビルから商品を取り出しただけだけど)安否がわからない知人を探したりすることで、余震のある一人の部屋の不安を少しでも拭っていた。

 

……………
 

あれから25年。それは僕にとっての開業25年でもある。

周りにはどうでもいいことかもしれないが、神戸で地震が起きてマチが整備された後にやって来たのではなく、神戸にいて震災に遭い、4ヶ月ほど掛けて(建築資材や職人を西日本から調達したゆえに)その年8月にこの店は始まった。

 

神戸に認められていないと未だに思う。ただあの渦中、神戸にいたことは意義深いと言い聞かせている。受け入れた覚悟は、余裕のある状況からの開業とは違い、少なからずこのマチやヒトとの共通項を持ちそこで黙々と足跡を残すことを選ばせてくれた。

 

その場所は路地裏であっても、僻地ほど足跡は色濃く映る。

雑踏では見つけにくいものがこの場でソクセキとなった。

 

チカラに変える方法はいくらでもあると知ったのだ。

 

27日金曜日、『スーパーストリングスコーベ』第3回定期公演。
 

今年はラグビー絡みで様々なゲストのアテンドを担当した。それは元日本代表選手だったり現役だったりしたが、今年を締めくくる僕のラグビー絡みのお仕事(?)は大学ラグビー同期、ラグビージャーナリスト村上晃一氏の新しい挑戦に立ち会った。「World In Union」その曲に合わせ盛り上げる、ラグビーを思い描いた村上自作の朗読。新しい試みである。

 

指揮者佐渡裕氏がもっとも愛情を注いでいるという「スーパーキッズ・オーケストラ」そのOBで構成されるメンバーによる弦楽器のみのオーケストラである。今や世界で活躍するメンバーも多くそのレベルに驚いた。司会の脇浜さんとゲスト村上とともに最前列で鑑賞。その並びにはサプライズで佐渡裕さんもいる。村上の出番は後半、なぜか僕までも緊張していた。

 

 

控え室での打合せが一通り終わり、村上と二人出番を待つ。ちょっとリハーサルしてみるか。出だしは緩やかでいいんちゃう?音が始まってから強い言い回しで…気分は舞台俳優小栗旬や藤原竜也…、やっぱり村上でええやん、主役はストリングスやし、全体の流れの一部やから観てる側に違和感がないまま進んでいくのが理想やと思うで…そんな話をしていると、村上が思い出した。

 

大阪体育大学ラグビー部では当時、一年全員丸坊主。これには確かに抵抗があった。村上も僕も京都生まれ育ち公立高校出身、中学校でも丸坊主の習慣などなく、初めての断髪を隠すように帽子をかぶっていた。それほど気にすることでもないのに。

そうやんな。そんな感じでええやんな。脇浜さんが言ってくれた「息を吸う」さえ忘れないようにすれば大丈夫やろ。



そして、村上晃一は見事に乗り切った。僕は目をつぶり、ラグビーワールドカップ2019日本大会のシーンの数々を思い出し涙が出そうになっていた。日本代表快進撃に?成功裏に終わったRWC2019に?違う。僕の感動はそんなところじゃない。


スーパーキッズを経て、今は世界を股にかける素晴らしいオーケストラ。彼らをバックに、大学時代カラオケでマッチや浜ショーを熱唱してた丸坊主の村上が今は堂々と朗読をこなしているステージに、誇らしく思えて泣き笑いしたのだった。